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たけし、大島渚監督に感謝 通夜に山田洋次監督ら800人

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 1月15日に80歳で死去した映画監督の大島渚さんの通夜が21日、東京・中央区の築地本願寺で営まれ、ビートたけし、神田うの、同世代の映画監督・山田洋次ら映画関係者を中心に約800人が弔問に訪れた。

【フォトギャラリー】大島監督との思い出を語った弔問客

 喪主を務めたのは、女優で妻の小山明子。「愛のコリーダ」の助監督で、「御法度」にも出演した映画監督の崔洋一が葬儀委員長を務めた。遺影には1990年に自宅で撮影された写真が使用され、祭壇は映画「儀式」(71)をイメージした白を基調にしたデザインで胡蝶蘭、白菊で彩られた。

 焼香を終えたたけしは、大島監督について「問題児だったからね。よくぞ問題を起こして日本映画界を引っ張ったなと思う」と語る。初めての大島作品出演となった「戦場のメリークリスマス」を振り返り、「私も(監督として)映画賞をとらせてもらったりしたけど、全てのきっかけはそこにあった」と謝意。捕虜収容所の原軍曹を演じたが「半年後にフランスに行ったら、ほとんどの人に『原!』って呼ばれた。すごいんだなと思ったね」と明かす。坂本龍一とも同作で共演を果たしたが、現場で大島監督が怒鳴るという噂を聞き「ミュージシャンと芸人なんだから『怒鳴ったら帰る』って監督と約束したんだ。そうしたら俺の相手役ばかりが怒鳴られるようになって、かわいそうで『監督、俺も怒鳴っていいです』って言ったよ」と懐かしそうに語る。

 大島監督からは、“映画監督・北野武”について「『きみは潔い映画を撮る』と言われた」という。「御法度」でカンヌ映画祭を訪れた際は、「崔さんも一緒で車椅子の監督を運んだんだけど、『戦艦ポチョムキン』だとか、このまま運んでいったら『楢山節考』になるとか、冗談ばかり言っていた」と述懐。贈る言葉を問われると、「『ありがとうございます』しかないし、そのうち俺も行くし、また向こうで怒鳴ってください」と寂しそうに語った。

 大島監督と同じ1954年に松竹へ入社した山田監督は、「僕の年になると、同じ世代が亡くなっていくのは寂しい。またひとり消えていったとガッカリしています。『安らかに』と言いたいところだけど、彼が心を休められる時代は当分、来ないかもしれない」と声を落とした。

 ほか、女優の高橋恵子、山本富士子、吉行和子、朝丘雪路らも参列。棺の中にはお気に入りのマフラーや「御法度」撮影時にかぶっていた帽子、妻の小山が着ていたセーターに家族が折った折り鶴、そして小山の「パパと一緒になって幸せでした」と書かれたメッセージなどが入れられた。戒名は、「測ることができない解放された大きな“喝”」を意味する「大喝無量居士」。また会葬御礼には、大島監督直筆の「深海に生きる魚族のように自ら燃さなければ何処にも光はない」という言葉が印刷され、添えられた。

 22日の告別式では松竹の大谷信義代表取締役会長、作家の澤地久枝、大島監督と共に“松竹ヌーベルバーグの旗手”と言われた篠田正浩監督、ジャーナリストの田原総一朗、日本映画大学の佐藤忠男学長、坂本龍一が弔辞を述べる予定。

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