ロシア人は大酒飲みである、ということになっています。本当でしょうか? 本当です。ロシア人と腹を割って話すには一緒にウォトカ(ウォッカ)を酌み交わし、翌日に酒焼けで唇がはれ上がるくらい飲まなければなりません(笑)。ロシアとお酒の面白い話をご紹介します。
■ロシア人が愛するウォトカのお話
ロシア人の愛する酒と言えばウォトカ(ウォッカ)。ウォトカのアルコール度数が決まっているのをご存じでしょうか。40度ピッタリです。この40度こそが「最も美味しいアルコール度数の比率である」と高らかに宣言した人が誰か知っていますか?
元素周期表を作ったことで有名なロシアの化学者、ドミトリィ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフ博士(1834年~1907年)です。メンデレーエフ博士は度量衡局の局長に就任し、ウォトカの製造技術の確立に努めました。その中で、ウォトカの黄金比、40%にたどりつき、これを元に1894年、「ウォトカは40%のアルコールを含むものとする」という法律が作られました。
■ロシア人の大酒飲みの実例
ロシア人の大酒飲みエピソードを書き出すとキリがありません。
近年の大酒飲みのロシア人政治家として有名なのはボリス・エリツィンです。彼の大酒話も枚挙に暇がありませんが、一番有名なのは「飲みすぎて足を滑らせて川に落ち、死にかけた話」です。これは「エリツィン暗殺未遂事件」などと報じられたこともありましたが、現在では「ただ酔ってただけ」というのが定説になっています。
また、アメリカを訪問した際には「各地のレセプションで、ウォトカを2本、ウイスキーを4本、大量のカクテル」を飲んでいたと非難されたことがあります(イタリアの新聞『レプリカ』)。しかし、それに対する反論が「そんなもの、エリツィンにとってはただのウォーミングアップだ」(『ボスとしてのエリツィン』スハノーフ著)というもの(笑)。どれだけ飲むのかという話です。
なにせエリツィンはロシア連邦の初代大統領。初代大統領からしてウォトカ大好きなわけです。ことほどさようにロシア人はアルコール度数の高いウォトカを愛するわけですが、では、そのウォトカが絶たれたらどうなるのでしょうか? 実は旧ソ連時代にそれが実際に起こったのです。
■旧ソ連でゴルバチョフが禁酒を強要!
旧ソ連の末期に、当時、開明派として国を率いていたゴルバチョフ書記長が国民に禁酒を強いたことがありました。理由は「アルコールによって国民が侵され、国の生産力がそがれている」からでした。
しかし、禁酒キャンペーンを始めた途端に、ウォトカの消費量は史上最高までうなぎ昇りに(笑)。ただでさえ商品が不足しがちなソ連の商店の軒先からウォトカが消えました。買い占めです。それに合わせて、政府に見つからないように密造酒の生産がソ連全土で始まりました(笑)。
■密造酒の摘発テレビ番組が大失敗!
政府も負けじと密造酒を作るものを摘発、その設備を押収します。個人、集団を問わず、この摘発に多数の人がひっかかりました。ソ連政府は国民を啓蒙するために、押収した製造機を一堂に集めてテレビ番組を作りました。これがいけません。
「見てください。この密造のための道具を。家の中にある物だけでもできるもんですねえ。何という巧みな工夫でしょうか!」などというアナウンスが入る「製造機の啓蒙番組」のようになりました。仕方がないのでこの生番組は、この中継途中で打ち切りに(笑)!
■アルコールが入ってたら何でもいい!?
ウォトカが消え、その後、ソ連の店舗ではアルコールを含む商品が次々と店先から姿を消します。酒類は当然のこと、化粧品もなくなりました。アルコールを含んでいるからです。それどころか砂糖もなくなりました。
砂糖を水に溶かしてイースト菌を混ぜ、発酵させれば「お酒」を作ることができるからです。恐ろしいのは、当時、会議に出席したソ連の要人が、テーブルに置かれていたコーヒー用の角砂糖を根こそぎ持って帰る風景が目撃されたことです。
旧ソ連の禁酒キャンペーンは、「靴クリーム」がなくなる事態までいったそうです。靴クリームにはアルコールが含有していますが、これを取り出す方法が傑作です。パンに靴クリームを分厚く塗っておいておきます。するとアルコール分が徐々にパンに染み込んでくるのだそうです。十分染み込んだところで靴クリーム部分をそぎ落としてパンを食べるのです(笑)。
■ロシアは「酔っぱらい小咄(こばなし)」ばっかり!
アルコールに対するロシア人の執念は驚くべきものです。その証拠にロシアンジョークはお酒の話が圧倒的に多いのです。最後にその傑作を1つ紹介しておきます。
「酔っぱらうってどういうこと?」
「ここにグラスが2つあるだろ。これが4つに見えだしたら酔っぱらってるぞ」
「グラス1個しかないよ」
まったくもってヒドイ(笑)。
(高橋モータース@dcp)
【関連リンク】
世界のスゴイお酒たち!
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■ロシア人が愛するウォトカのお話
ロシア人の愛する酒と言えばウォトカ(ウォッカ)。ウォトカのアルコール度数が決まっているのをご存じでしょうか。40度ピッタリです。この40度こそが「最も美味しいアルコール度数の比率である」と高らかに宣言した人が誰か知っていますか?
元素周期表を作ったことで有名なロシアの化学者、ドミトリィ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフ博士(1834年~1907年)です。メンデレーエフ博士は度量衡局の局長に就任し、ウォトカの製造技術の確立に努めました。その中で、ウォトカの黄金比、40%にたどりつき、これを元に1894年、「ウォトカは40%のアルコールを含むものとする」という法律が作られました。
■ロシア人の大酒飲みの実例
ロシア人の大酒飲みエピソードを書き出すとキリがありません。
近年の大酒飲みのロシア人政治家として有名なのはボリス・エリツィンです。彼の大酒話も枚挙に暇がありませんが、一番有名なのは「飲みすぎて足を滑らせて川に落ち、死にかけた話」です。これは「エリツィン暗殺未遂事件」などと報じられたこともありましたが、現在では「ただ酔ってただけ」というのが定説になっています。
また、アメリカを訪問した際には「各地のレセプションで、ウォトカを2本、ウイスキーを4本、大量のカクテル」を飲んでいたと非難されたことがあります(イタリアの新聞『レプリカ』)。しかし、それに対する反論が「そんなもの、エリツィンにとってはただのウォーミングアップだ」(『ボスとしてのエリツィン』スハノーフ著)というもの(笑)。どれだけ飲むのかという話です。
なにせエリツィンはロシア連邦の初代大統領。初代大統領からしてウォトカ大好きなわけです。ことほどさようにロシア人はアルコール度数の高いウォトカを愛するわけですが、では、そのウォトカが絶たれたらどうなるのでしょうか? 実は旧ソ連時代にそれが実際に起こったのです。
■旧ソ連でゴルバチョフが禁酒を強要!
旧ソ連の末期に、当時、開明派として国を率いていたゴルバチョフ書記長が国民に禁酒を強いたことがありました。理由は「アルコールによって国民が侵され、国の生産力がそがれている」からでした。
しかし、禁酒キャンペーンを始めた途端に、ウォトカの消費量は史上最高までうなぎ昇りに(笑)。ただでさえ商品が不足しがちなソ連の商店の軒先からウォトカが消えました。買い占めです。それに合わせて、政府に見つからないように密造酒の生産がソ連全土で始まりました(笑)。
■密造酒の摘発テレビ番組が大失敗!
政府も負けじと密造酒を作るものを摘発、その設備を押収します。個人、集団を問わず、この摘発に多数の人がひっかかりました。ソ連政府は国民を啓蒙するために、押収した製造機を一堂に集めてテレビ番組を作りました。これがいけません。
「見てください。この密造のための道具を。家の中にある物だけでもできるもんですねえ。何という巧みな工夫でしょうか!」などというアナウンスが入る「製造機の啓蒙番組」のようになりました。仕方がないのでこの生番組は、この中継途中で打ち切りに(笑)!
■アルコールが入ってたら何でもいい!?
ウォトカが消え、その後、ソ連の店舗ではアルコールを含む商品が次々と店先から姿を消します。酒類は当然のこと、化粧品もなくなりました。アルコールを含んでいるからです。それどころか砂糖もなくなりました。
砂糖を水に溶かしてイースト菌を混ぜ、発酵させれば「お酒」を作ることができるからです。恐ろしいのは、当時、会議に出席したソ連の要人が、テーブルに置かれていたコーヒー用の角砂糖を根こそぎ持って帰る風景が目撃されたことです。
旧ソ連の禁酒キャンペーンは、「靴クリーム」がなくなる事態までいったそうです。靴クリームにはアルコールが含有していますが、これを取り出す方法が傑作です。パンに靴クリームを分厚く塗っておいておきます。するとアルコール分が徐々にパンに染み込んでくるのだそうです。十分染み込んだところで靴クリーム部分をそぎ落としてパンを食べるのです(笑)。
■ロシアは「酔っぱらい小咄(こばなし)」ばっかり!
アルコールに対するロシア人の執念は驚くべきものです。その証拠にロシアンジョークはお酒の話が圧倒的に多いのです。最後にその傑作を1つ紹介しておきます。
「酔っぱらうってどういうこと?」
「ここにグラスが2つあるだろ。これが4つに見えだしたら酔っぱらってるぞ」
「グラス1個しかないよ」
まったくもってヒドイ(笑)。
(高橋モータース@dcp)
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